じぎゃくの14番 蔓延するニセ教育勅語

みなさんは、教育勅語というものをご存知でしょうか(もういいですかそうですか)


先日、爆笑のFLASHを発見。大いに笑わせてもらいました。
  『たいせつなもの』
     〜こどものための教育勅語

このおはなしは めいじてんのうが おはなしになったことです。


おおむかしに わたしたちのそせんが にほんというくにをつくったとき
こころのきれいなひとたちがすむ、 りっぱなくににしようとおもいました。
そしてみんなが そのきもちをたいせつにして
こころをひとつにしてがんばったから
いまのにほんがあるのですし、 それはとてもほこらしいことです。


みなさんは おとうさん おかあさんを たいせつにして、
きょうだいは なかよくしましょう。
おとうさん おかあさんは なかよくしましょう。


ともだちは たいせつにして いじわるをしたり うそをいっては いけません。
いばったり じまんしたり せずに、
こまってる ひとがいたら たすけてあげましょう。


べんきょうは なまけずに、
いろんなことを おぼえたり かんがえたりして かしこくなりましょう。
ひとのことをうらやましがったり、 ひがんだりせず、
すすんで みんなのために なることをしましょう。


ずるをしたりせずに きまりはきちんとまもりましょう。
もし たいへんなことが おこったら、
ゆうきをだして みんなのために がんばりましょう。


このおやくそくは むかしから みんなが だいじにしてきました。
みんなが おおきくなっても、 がいこくに いっても かわらない
ほんとうに たいせつなことですから、
みなさんも このおやくそくを まもって
りっぱなひとに なってくださいね。

   絵本製作: あすの日本を考える会


ううむ。いいこと言ってますね、この絵本。
当たり前のことしか言っていないという気もするけど。


しかし、どうしてこれが笑えるのかといえば、
これ、教育勅語じゃありませんから。
参考までに、教育勅語の原文置いときます。

朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾

この原文を、簡単に訳した人がおられます。
 暁を撃て! いっちょ現代語訳でも…/教育勅語(その1)

私が思うに、私の尊い先祖である天照大神と、神武天皇を初めとする代々の天皇が国を治めたのは歴史も深く、まことに徳の厚いものであった。
私の臣民が、忠義と道徳によって心をひとつにし、代々にわたって素晴らしい世の中をつくってきたことは、わが国の素晴らしい特徴であり、教育の大元もここにあるものである。
お前たち臣民よ、父母を敬い、兄弟親しく、夫婦は仲むつまじく、友人と信じ合い、うやうやしく謹み己を律し、博愛の精神を周囲にもたらし、学業を習い、これを修得し、英知を養い、道徳を身につけて進んで公益のために務めを果たし、憲法を重視して法律に従い、もし国家に危機が迫れば義勇の精神を君主たる天皇にささげ、天地とおなじく不滅である皇室の繁栄を助けよ。
このことは、私の忠実で善良な臣民であるお前達のためだけではなく、お前達の祖先の遺したすばらしい精神を顕彰するためでもある。
この道は私の尊い先祖である天照大神神武天皇を初めとする代々の天皇の遺した教えであり、その子孫である臣民が共に遵守すべきものであり、それは今も昔も変わらず、また、世界にもたらしても間違いのないものである。
私もお前たち臣民とともにこの教えを胸に刻んで遵守し、この道徳を共に実現したいと心から願うものである。


……かなり、つーか、全然違いますね(笑。
意訳、もしくは超訳ですかね、この絵本。
まあ子供相手の絵本ですから、あまり正確さを求めるのもなんですが。
でも、ここまで改変しちゃうのは明治天皇に対する不敬なんじゃないの?
少なくとも、これは教育勅語を騙るニセモノです。


実は、このニセ教育勅語の絵本の元ネタになっているのが
巷に出回ってる日本道徳協会による教育勅語の訳文なのですが、
正確には衆議院議員・佐々木盛雄訳。これ自体が改変ものなのです。
 日夜困惑日記 教育勅語「国民道徳協会訳」の怪
 中教審が礼賛する教育勅語を読んでみよう 


「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト」 が
   

おおむかしに わたしたちのそせんが にほんというくにをつくったとき

「我が皇祖・皇宗」を「わたしたちのそせん」て訳すの、酷いんじゃないの?


「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」 が
   

もし たいへんなことが おこったら、
ゆうきをだして みんなのために がんばりましょう。

どうにか穏健な表現に言い換えねば、と苦心してます。微笑ましいです。



「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
   

   ?? ……あれ、どこ行った?


教育勅語だと言い張るなら、もうちょっと明治天皇の聖旨に忠実な文章にして欲しいもので。
これらのことから考えるに、こういうの作る人の本心は結局こういうことなのでしょう。
 暁を撃て! いっちょ現代語訳でも…/教育勅語(その2)

早い話が、彼らは口では教育勅語を礼賛しながら、実はその内容が現在の一般国民に受け入れられるようなものではないと理解しているということなのでしょう。天皇が臣民に下す命令という特色をなくすため、口調は敬語になり、「爾臣民」は「国民の皆さん」にされてしまい、「私達」などという存在しない概念が登場します。そして「皇祖高宗」という単語は、元々天照大神と歴代の天皇を指す言葉であるのに、なんと「私達」の「先祖」になっています。天皇に従属することを表す「忠良ノ臣民」は「善良な国民」になってしまいしたし、皇室のため戦え、という部分は完全に削除されてしまいました。一方で、一般道徳について述べた部分は、さして誤訳もありません。

要するに、教育勅語を直訳して国民に受け入れられる部分があるとすればこのあたりしかないということを、教育勅語を礼賛する彼ら自身が知っている、ということです。これは、この訳文にかぎりません。「教育勅語を現代の教育に!」と主張する人たちは、たいていこの一般道徳の部分を持ち出しはしますが、決して「天壌無窮…」の部分を持ち出すことはないのです。それこそが、教育勅語の中心であるはずなのに…。

 日々困惑的日常 『私たちの歩むべき道』、あるいはこれは「教育勅語」ではない

 何故にここまで改竄してまで教育勅語にこだわるのか、とも思うのだが、おそらくこの手の「訳」を奉じる人々にとっては、勅語の具体的な内容よりも、この勅語明治天皇によって発布された、いわば一種の聖典である、ということの方が重要なのだろう。聖典は神聖なものであるから、たとえ不都合な点があったとしても作り直すことはできない。したがって、時代や状況にうまく適合させるためには、巧みに読み替えを行う必要が出てくるのである。

この絵本の最後には、「お父様お母様へ」という後書きがありますが

内容自体は儒教的思想と、わが国の伝統・文化に基づく基本的な道徳を説いたものであって、批判されるようなものではありません。

   どこがやねん!
(本物の教育勅語は)無茶苦茶に封建的な内容ではないですか。



  結論

  1. 『たいせつなもの』なる絵本そのものに問題はない。
  2. しかし、教育勅語そのものには大いに問題がある。
  3. あの絵本は教育勅語なんかではなく、似て非なるものである。
  4. 自分の都合に合わせて事実を捻じ曲げるのは、あるあるだけではないらしい。
  5. 教育勅語を讃え、天皇・皇室を敬うべし」と言う人の方が論理一貫性がある。それに賛同するかどうかは別にして。
  6. こういう御都合主義な人が、こういうことを言うのですな。西岡昌紀先生、出番ですよ!
  7. べんきょうは なまけずに、いろんなことを おぼえたり かんがえたりして かしこくなりましょう。


おまけ  同じような例として、こういうお笑い日本神話もございます。