じぎゃくの17番 南京大虐殺論争の中心で敢えて数を語った馬鹿者

まず結論から先に。
南京虐殺で数を語るのは不毛。

今となっては南京アトローシティによる正確な被害統計を得ることは、理論的にも実際上も不可能に近く、あえていえば”神のみが知る”であろう。
               【秦郁彦南京事件中公新書)」】

これを前提にしたその上で、敢えてに関して語ってみる。

正確な犠牲者数を算出するのは不可能だが、少なくとも
壱. 日中両政府により、一定の政治的決着をつける必要はあると思う。
理由 トンデモな説がこれほどの力を持ち、拡散してるのは両国にとって憂うべき事態。その論争、もはや「説の違い」とかいうレベルの話じゃないし。しかもそのトンデモ説が相手を直接攻撃する根拠になってるし。
方法 日中双方の歴史学者が史料を付き合わせて検証・合議して歴史的妥当性を共有し、その結果を日中両政府が認めて政治的妥当性を見出す、てのでどうか。*1
 日本側史料は、戦争直後(GHQ進駐前)に大半が焼却処分され、あるいは現在でも非公開とされているものが多いですし、漏れが存在する可能性は否定できない。反面、中国側史料における誇張・捏造の類にも日本側史料との整合性を確認した上でないと、史料として扱えない。*2

弐. 虐殺数に差異が生じる原因 

定義バラバラ「南京大虐殺」
山本弘の秘密基地「目からウロコの南京事件」
適正・過少過大の判断に賛同するかどうかは別にして(個人的には賛同できない部分あり)、「南京虐殺」の定義の違いが、そのまま犠牲者数の違いを生じせしめている、という部分はその通りだと思います。逆に言えば、日中間で犠牲者数の共通認識を得ようとするならば、「南京虐殺」の定義を日中間で統一させる必要があるわけで。

  1. 地理的範囲 … 「南京」とはどこまでを指すか
  2. 時間的範囲 … 虐殺の期間はいつからいつまでか
  3. 「虐殺」の定義 … そもそも「虐殺」とは何を指すか

日本側の(まともな)説のうち最も争いあるのが、主に.でしょう(次いで2.)。*3
ちなみに中国側との最も顕著な違いは3.にあるわけで、アチラでは上海事変以降の軍の戦死者も犠牲者数にカウントしてる。これに関しては微妙な点もなくはないので、そのへん後日。

1.によって生じる犠牲者数の違いについて、かなり乱暴に例えてみる。

とある大型書店で大量の万引き事件が発生。
その万引き事件における主要商品(首都)の被害総額はいくらか?
てゆーか、その主要商品の置いてあった範囲はどこまでか。
 ・本棚一つ分なのか(南京市とその周辺) → それなら被害額は4〜5万円ほど。
 ・その周辺の本棚も含むのか(南京行政区) → それなら被害額は十数万円以上
 ・本棚の上一段だけなのか(南京安全区内) → それなら被害額は一万円以下

……こんな感にすると、分かり易いんじゃないかと。
日本の学説の主流は、本棚一つ分もしくはその周辺(秦〜笠原説)です。*4
でもねえ、、、万引き被害は店全体(中国全土)で生じてますからねえ。
ちなみに店全体の総被害は、1.000万単位なんですが……。

日中戦争をトータルで考えれば、南京虐殺てのはこの程度に過ぎないわけで*5
首都殲滅戦で、且つその首都における虐殺だったので目立ったんですが*6、あくまでそれは、その後何年にもわたって続く日中戦争(と、日本兵による虐殺)における局地戦・極一部に過ぎないわけですよ。
それこそ、南京以外でも日本軍による虐殺なんぞは山のようにありますし。
あと間違っちゃ困るのは、犠牲者4万人説と10万人説の差の6万人は、実は生きているわけではありません。南京(とされた範囲)以外で殺されているだけの話。もちろん、この中に中国軍戦死者は含まれてません。
上記の例えで言えば、どこまでが南京の棚で、その被害総額はいくらなのかで争うよりも、万引きの動機や手段などについて調べた方が、遥かに両国のためにも建設的ではないのかと思うのですが。これから同じようなこと起こさないためにも。
だから冒頭みたく南京虐殺で数を語るのは不毛で、あまり歴史的意義が感じられないわけで*7

しかし、こうもトンデモ説が拡散して世論を動かしあまつさえそれを論拠に互いを攻撃しているような現状では(以下、繰り返し)


参. ここからは、個人的な考え又は提案
日中が共同認識を得易く、且つ国際的に説得力を持つ定義となると
極東軍事裁判判決が一定の基準として有効なのではないかと*8
ちなみに、極東軍事裁判における南京虐殺事件の定義は以下の通り。

  1. 地理的範囲 → 南京行政区秦郁彦説より広い)
  2. 時間的範囲 → 日本軍の南京占領(1937年12月13日)から6週間笠原十九司説より短い)
  3. 「虐殺」の定義 → 国際法違反の殺害(中国側定義を改める必要あり)

以上のように、定義を日中両学説とも確定させておき、政治的に(例えば分かり易いとこで)犠牲者十万人程度を基本単位として決着しておき、教科書や南京大虐殺記念館の記述も変更。「十万以上・以下」「十万前後」など具体的表記の方法は現場に任せる*9
別に個人的には前述のように数にこだわる必要をあまり感じないので、秦郁彦説を定義にしても構わんのですが、国際的説得力と日中の政治的妥協が成立し得る可能性は薄いでしょう(犠牲者数をより正確に特定するには最も有効な説だとは思う)。*10
そして、両国とも冷静に史料分析できる環境(時代)になって改めて学術的に論じる、てなことにすれば。
あくまで虐殺論争に政治的決着を付けるための「案」であり、厳密な史実とは異なるかもしれないことは百も承知です。


でも、そうでもしないと(以下繰り返し)

*1:すでに日中韓の学者による『未来をひらく歴史(高文研)』てのも出てます

*2:もちろん、日本側史料における誇張・捏造に関しても同様

*3:日本で3.を持ち出す場合は、ほぼトンデモ説と考えても可。

*4:虐殺が南京安全区内だけなどと言う人は、ド素人かトンデモ学者

*5:と言っては酷すぎる話ではあるけど

*6:東京裁判の時、初めて国民に明らかになったこともありましょうし

*7:ただし、地道な啓蒙活動や、否定説の動機や手法の研究・分析は、大いに意義を認めるところ

*8:法哲学・法論理学からの批判はあれど、裁判における事実認定そのものは国際的に一定の評価されてるわけで。

*9:その際、他の説の存在を記するのは、もちろん可

*10:1万人以下の少数説は、学術的にも国際的説得力からしても論外