じぎゃくの19番 負け戦が好き

米下院外交委、従軍慰安婦決議26日採決へ日本経済新聞

米下院外交委員会は18日、旧日本軍によるいわゆる従軍慰安婦問題で、日本政府に謝罪を求める決議案を26日に採決する方向となった。決議案の共同提案者は共和党民主党にまたがって140人に上っており、外交委だけでなく下院本会議でも可決の可能性がある。この問題をめぐっては安倍晋三首相が4月の訪米時に謝罪の意を示し、いったんは沈静化したものの、その後も共同提案者が増えていた。

すさまじくマヌケだと思うのは、
この決議に抗議や反対して、日本に何のメリットがあるのかと*1
それ以前に、従軍慰安婦を否定して得るメリットって何だ。

  • いわゆる狭義の強制性はなかった。
  • 実際に朝鮮人慰安婦を集めたのは朝鮮の業者です。
  • その際に、暴行やら詐欺やら用いた責任はそちらにあります。
  • 当時は全く合法であり、現在の見方で批判するとは怪しからん。

はあ、なるほどそうですか。一理ありますね。一理だけですが。

では、例えばブッシュなんぞが以下の台詞を言ったらどうなるか。

  • 黒人奴隷制度は、当時のアメリカでは合法でありました。
  • 人権侵害はありましたが、当時の状況下では仕方ありません。
  • 契約自由の原則ですから、その契約した責任は奴隷本人にもあります。
  • 少なくとも、現地黒人業者の行為の責任はアメリカにはありません。

なんか今でもリアルに言いそうな人はおるような気がします。
南部の人とかKKKとかネオコンとかキリスト教原理主義者とか。

仮にそれが事実だとして、「ああ、なるほど。その通りですね」とか言って納得してくれる人、支持してくれる国が、どこにありますかと。
なに寝言ぬかしてけつかると、それはもお、国際的に非難轟々浴びることになりましょうな。


間違っちゃいけませんが、軍に慰安制度自体が存在したのは事実。
軍人さんが、いわゆる慰安婦ヤッてたのは事実ですよ。
そりゃあ貧困から自発的に参加した人もおれば、業者に騙されたり強制的*2に連れてこられた人もいたわけですよ。
そして、そういう行為は現在では重大な人権侵害にあたるんですよ。
国際的に人権を守る方向で世界中の国々が意見を一致させてるところに、こんな過去の人権侵害を肯定したと受け取られても仕方ないような行動とって、本当に国際的に非難されないと思っておるのだろうか。
仮に、「強制してない」だの「韓国の業者が」だの「当時は合法」だのと国際舞台で主張したとして、更に百歩譲ってそれが事実だとして、「ああ、なるほど。その通りですね」などと納得して支持してくれる国が、どこの世界に存在するのかと小一時間。*3
個々人の人間としても、少なくとも世界中の半分は*4こういう行為(これを擁護する行為も含めて)に感情的・生理的に嫌悪感を覚え、納得してくれるはずないと思いますが。


客観的に見れば、こういう状況大マヌケにしか見えません。
「客観的に」じゃなければ、「戦術的に」「戦略的に」大マヌケ
秦郁彦風に言えば、「勝てるとこで戦わず、わざわざ負けるとこで戦っている」ことになるんじゃないの?
河野談話持ち出して、すみませんと認めとけばいいじゃん。
その上で、アメリカもやってたではないですか反省しるとか言えば、少なくとも行動に整合性はありますし*5、国際的にも納得してくれる人は多いでしょうぜ。*6


ホント、日本って負ける戦いが好きですなあ。
こういう、思想に殉じて敗れるのが日本クオリティ♪
つーか、あの頃から全然変わってないんじゃないか?

*1:敢えて思いつくとしたら、溜飲が下がる程度でしょうか

*2:朝鮮半島では微妙だけど、ないことはないと思いますがね。インドネシアでは実際、白馬事件とかありましたし

*3:あ、台湾がありました。国かどうかという問題はありますが。ま、実質「国」か。

*4:

*5:日本の慰安制度だけは免責しつつ、アメリカ他の行為を非難するみたいな

*6:ただし、国として大っぴらにアメリカを非難してくれるとこがあるかどうかは別問題

じぎゃくの18番 南京大虐殺否定論者肯定論

南京虐殺否定論者は素晴らしい!!


どんな酷いこと惨いことされても許して下さる、広大無辺の心をお持ちです。
まさに菩薩か聖人君子か。そう呼んでも決して過言ではありません。
例えば仮に日中戦争において、中国軍が日本の首都でこんなことをしても、
全部なかったことにしてくださるのです。
なんて素晴らしい!! by中国人

  • 宣戦布告なしに名古屋から東京まで(約280km)攻め上がっても無問題*1
  • 戦火の発端は名古屋だけど、首都を制圧すれば降伏するので無問題。
  • 結局、東京を占領したけど降伏しない日本が悪いのですから無問題。
  • 予定外なので食料の備蓄がないけど、日本人から徴発(強奪)しても無問題
  • 占領した村の家屋は、戦闘の邪魔になるので燃やしてしまっても無問題
  • 女は犯し放題ですが無問題。慰安制度などなかったんで仕方ないでしょう。
  • 大量出産の事実がなければ、強姦もなかったことになりますので無問題
  • 捕虜は取らない方針なので、捕まえたそばから片っ端から殺しても無問題
  • 家宝の青龍刀の切れ味を見たいので、捕虜の日本人を試し斬り。勿論、無問題
  • どちらが多く日本人を斬れるか競争しましたが無問題。なかったことにします。
  • 第一、一本の青龍刀で何人も斬れるはずないじゃないですか。
  • 日本兵で、軍服を脱いで民間人に成りすましてる奴がいるらしいぞ。
  • とにかく若い日本人なら容疑者だ。根拠なく片っ端からとっ捕まえても無問題
  • そいつら、裁判もなしに処刑してしまっても無問題。
  • 上官の逃亡した敗残兵や便衣兵は、国際法上保護されないから処刑無問題。
  • 国際法的にそういう行為が本当に無問題なのかどうか疑わしいけど無問題。
  • つか、もう面倒くさいから日本人なら誰でもかれでも殺しちゃって無問題
  • これらのことは、大部分常軌を逸した日本兵の仕業にしてもらえるぞ。
  • とにかく、軍上層部からの組織的虐殺命令さえなければ無問題。
  • 不法に殺害された人数も、何分の一か、何十分の一以下にしてくださる。
  • 中国兵の不法行為を示す史料は、ほとんど全部でっち上げなので無問題。
  • 残された写真や映像も、すべて日本人によるプロパガンダなので無問題。
  • 日本政府から文句が来ておるけど、中国国内の内政無問題です。

嗚呼素晴らしき哉、南京虐殺否定論者!!
ビバ、南京虐殺否定論者!!
あなた達は美しい。あなた達は人間の鑑。
自分の同朋や自分の家族親戚が虐殺されても、妻や娘が強姦されても、
自分の財産を奪われ焼かれても、ありとあらゆる非人間的な扱いされても、
すべて見て見ぬフリし、なかったことにしてくださる。



オレには無理。 きっと、怒り狂って八つ裂きにしても飽き足らんと思うはず。

*1:敢えて距離だけ合わせてみた

じぎゃくの17番 南京大虐殺論争の中心で敢えて数を語った馬鹿者

まず結論から先に。
南京虐殺で数を語るのは不毛。

今となっては南京アトローシティによる正確な被害統計を得ることは、理論的にも実際上も不可能に近く、あえていえば”神のみが知る”であろう。
               【秦郁彦南京事件中公新書)」】

これを前提にしたその上で、敢えてに関して語ってみる。

正確な犠牲者数を算出するのは不可能だが、少なくとも
壱. 日中両政府により、一定の政治的決着をつける必要はあると思う。
理由 トンデモな説がこれほどの力を持ち、拡散してるのは両国にとって憂うべき事態。その論争、もはや「説の違い」とかいうレベルの話じゃないし。しかもそのトンデモ説が相手を直接攻撃する根拠になってるし。
方法 日中双方の歴史学者が史料を付き合わせて検証・合議して歴史的妥当性を共有し、その結果を日中両政府が認めて政治的妥当性を見出す、てのでどうか。*1
 日本側史料は、戦争直後(GHQ進駐前)に大半が焼却処分され、あるいは現在でも非公開とされているものが多いですし、漏れが存在する可能性は否定できない。反面、中国側史料における誇張・捏造の類にも日本側史料との整合性を確認した上でないと、史料として扱えない。*2

弐. 虐殺数に差異が生じる原因 

定義バラバラ「南京大虐殺」
山本弘の秘密基地「目からウロコの南京事件」
適正・過少過大の判断に賛同するかどうかは別にして(個人的には賛同できない部分あり)、「南京虐殺」の定義の違いが、そのまま犠牲者数の違いを生じせしめている、という部分はその通りだと思います。逆に言えば、日中間で犠牲者数の共通認識を得ようとするならば、「南京虐殺」の定義を日中間で統一させる必要があるわけで。

  1. 地理的範囲 … 「南京」とはどこまでを指すか
  2. 時間的範囲 … 虐殺の期間はいつからいつまでか
  3. 「虐殺」の定義 … そもそも「虐殺」とは何を指すか

日本側の(まともな)説のうち最も争いあるのが、主に.でしょう(次いで2.)。*3
ちなみに中国側との最も顕著な違いは3.にあるわけで、アチラでは上海事変以降の軍の戦死者も犠牲者数にカウントしてる。これに関しては微妙な点もなくはないので、そのへん後日。

1.によって生じる犠牲者数の違いについて、かなり乱暴に例えてみる。

とある大型書店で大量の万引き事件が発生。
その万引き事件における主要商品(首都)の被害総額はいくらか?
てゆーか、その主要商品の置いてあった範囲はどこまでか。
 ・本棚一つ分なのか(南京市とその周辺) → それなら被害額は4〜5万円ほど。
 ・その周辺の本棚も含むのか(南京行政区) → それなら被害額は十数万円以上
 ・本棚の上一段だけなのか(南京安全区内) → それなら被害額は一万円以下

……こんな感にすると、分かり易いんじゃないかと。
日本の学説の主流は、本棚一つ分もしくはその周辺(秦〜笠原説)です。*4
でもねえ、、、万引き被害は店全体(中国全土)で生じてますからねえ。
ちなみに店全体の総被害は、1.000万単位なんですが……。

日中戦争をトータルで考えれば、南京虐殺てのはこの程度に過ぎないわけで*5
首都殲滅戦で、且つその首都における虐殺だったので目立ったんですが*6、あくまでそれは、その後何年にもわたって続く日中戦争(と、日本兵による虐殺)における局地戦・極一部に過ぎないわけですよ。
それこそ、南京以外でも日本軍による虐殺なんぞは山のようにありますし。
あと間違っちゃ困るのは、犠牲者4万人説と10万人説の差の6万人は、実は生きているわけではありません。南京(とされた範囲)以外で殺されているだけの話。もちろん、この中に中国軍戦死者は含まれてません。
上記の例えで言えば、どこまでが南京の棚で、その被害総額はいくらなのかで争うよりも、万引きの動機や手段などについて調べた方が、遥かに両国のためにも建設的ではないのかと思うのですが。これから同じようなこと起こさないためにも。
だから冒頭みたく南京虐殺で数を語るのは不毛で、あまり歴史的意義が感じられないわけで*7

しかし、こうもトンデモ説が拡散して世論を動かしあまつさえそれを論拠に互いを攻撃しているような現状では(以下、繰り返し)


参. ここからは、個人的な考え又は提案
日中が共同認識を得易く、且つ国際的に説得力を持つ定義となると
極東軍事裁判判決が一定の基準として有効なのではないかと*8
ちなみに、極東軍事裁判における南京虐殺事件の定義は以下の通り。

  1. 地理的範囲 → 南京行政区秦郁彦説より広い)
  2. 時間的範囲 → 日本軍の南京占領(1937年12月13日)から6週間笠原十九司説より短い)
  3. 「虐殺」の定義 → 国際法違反の殺害(中国側定義を改める必要あり)

以上のように、定義を日中両学説とも確定させておき、政治的に(例えば分かり易いとこで)犠牲者十万人程度を基本単位として決着しておき、教科書や南京大虐殺記念館の記述も変更。「十万以上・以下」「十万前後」など具体的表記の方法は現場に任せる*9
別に個人的には前述のように数にこだわる必要をあまり感じないので、秦郁彦説を定義にしても構わんのですが、国際的説得力と日中の政治的妥協が成立し得る可能性は薄いでしょう(犠牲者数をより正確に特定するには最も有効な説だとは思う)。*10
そして、両国とも冷静に史料分析できる環境(時代)になって改めて学術的に論じる、てなことにすれば。
あくまで虐殺論争に政治的決着を付けるための「案」であり、厳密な史実とは異なるかもしれないことは百も承知です。


でも、そうでもしないと(以下繰り返し)

*1:すでに日中韓の学者による『未来をひらく歴史(高文研)』てのも出てます

*2:もちろん、日本側史料における誇張・捏造に関しても同様

*3:日本で3.を持ち出す場合は、ほぼトンデモ説と考えても可。

*4:虐殺が南京安全区内だけなどと言う人は、ド素人かトンデモ学者

*5:と言っては酷すぎる話ではあるけど

*6:東京裁判の時、初めて国民に明らかになったこともありましょうし

*7:ただし、地道な啓蒙活動や、否定説の動機や手法の研究・分析は、大いに意義を認めるところ

*8:法哲学・法論理学からの批判はあれど、裁判における事実認定そのものは国際的に一定の評価されてるわけで。

*9:その際、他の説の存在を記するのは、もちろん可

*10:1万人以下の少数説は、学術的にも国際的説得力からしても論外

じぎゃくの16番 エンドレス議論

先日のエントリーのおまけに関連して。
終わりのない議論ほど疲れるものはない。


右も左も関係なく、結論先にありきの人と議論する無意味さ。虚しさ。
どんなに誠実に論理的に対応しようと無駄無駄無駄。
議論が空回って何周もする様は、メイド・イン・ヘブンの如し。
オマエはプッチ神父かと。


どんなに合理的に説得されようが、破綻した議論を指摘されようが、
意味なく根拠なく「まだ負けてない」と論戦を挑んでくる様は、
モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」に登場する
黒騎士(black knight)に例えられたりしてます。
イメージ的には、こんな感じ♪
左腕が斬り落とされても「まだ負けてない!」と、右手で戦う。
そして両腕が斬り落とされても「まだ負けてない!」と、蹴りつけてくる。
そして片足が斬り落とされても「まだ負けてない!」と、頭突きしてくる。
そして両手両足が斬り落とされた状態でも「まだ負けてない!」と、口先で罵る。
こんなの、相手しているだけ無駄です無意味です。

だから、議論をする場合は相手が翻意することなんぞ期待しないように。
個人的な話ですが、私が議論する場合はこういった目的があります。
 ①自分の議論スキル・テクニック向上のため。
 ②議論の中で色々と調べたりすることで、自分の知識を向上させるため。
 ③ROMの観客・第三者に、相手がいかに破綻してるか立証するため。



だけど皆さん、そんな黒騎士が大好きのようです。
   ・SWバージョン
   ・エヴァバージョン

じぎゃくの15番 蔓延するニセ教育勅語ver1.5

先日のエントリー・蔓延するニセ教育勅語に、反応あったみたい。

新しいバージョンも作られたようです。めでたしめでたし。
『たいせつなもの』(β1.5FLASH版)


全然、変わってないじゃんマイナーチェンジしてるらしいですよ(どこだ?)。
面倒くさいんで、変更部分はコチラを参照のこと。間違い探しですれっつごー。
ええと、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト」「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」もそのまんま。
もちろん、「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」なんぞ、相変わらず出てきやしない。
その代わりと言ってはなんですが、なんかいろいろ言い訳してます。

この話は「幼児にむけて」「勅語の精神」を伝える事に重きをおいているのです。
指摘にあるように「皇祖皇宗」を「皆の祖先」としたのは確かに文意とは離れます。しかし、当時はともかく今の子供たちに身近な話だとするには、天皇との距離は遠いものです。

天皇との距離は、昔より全然身近なんですがね。
なんつったって、ワイドショーで散々採り上げられるくらい(^^;;
現人神として敬われるか、人間として親しまれるかの違いです。
天皇との距離というより、その表現自体が現制度からかけ離れてるだけ。
つまり身近でないのは、我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコトという表現そのものです。
皇祖皇宗だけが国を作ったのでないのは、それこそ幼児にも理解できますし。
なので、現実に沿うように都合よく改竄意訳ですよ意訳…(`∀´)ニヤッ

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ⇒もし、非常事態が発生した場合は、勇敢におおやけに奉仕して、
以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ⇒永遠に続く皇運(上記天皇感からみると「国全体の安定と繁栄」)をまもりましょう。
これを幼児向けにどう言うかやってみればわかるが、幼児というのは「非常事態には絶対的に守られるべき」存在なので、能動的に話すのは難しいのですよ。

やってみればもへったくれも、やればいいじゃん
現に、戦時中の絵本は、そのまんまやってるではないですか。*1
「非常事態には絶対的に守られるべき」どころか、進んでお国を守るために戦えと。
むしろ、こういう絵本の方が教育勅語に忠実なんですがね。


ついでに言えば、上記の訳し方も本来おかしいんですよ。

「もし、非常事態が発生した場合は、勇敢におおやけに奉仕して、」
永遠に続く皇運(上記天皇感からみると「国全体の安定と繁栄」)をまもりましょう。

おおやけとか国全体というより、天皇。百歩譲っても国体(天皇と密接不可分な)と訳すべきでしょう。第一、 「安定と繁栄」とか、どこから出て来たんだろ。
国民道徳協会訳とも違いますし、まして絵本はもっとヘンな訳。伝言ゲーム?
これ天皇とか云々言う以前の根本的問題なんですけどね。
つまり、勅語の訳を改変している(それも意図的に)とか、
最も重要な部分を無視している(それも意図的に)とか、そういうレベル。
少なくとも当時はこんな使われ方(訳され方)はされてません。
明治天皇の聖旨を、作者の考えるイデオロギーに都合良く意訳・改竄して、
明治天皇の名と威を借りて語(騙?)っている行為に他ならないわけですよこの絵本は。
だから明治天皇に対して不敬じゃないの?と言っておるわけですよ。


ついでに、後書きで「批判されるものではありません」と言ってる徳目の項。
日夜困惑日記@望夢楼 教育勅語「国民道徳協会訳」の怪より

 「父母ニ孝ニ……」から「……皇運ヲ扶翼スヘシ」までの徳目の部分については、それぞれの徳目は独立して列挙されている、とする解釈と、すべての徳目は最後の「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂する――つまり、「父母ニ孝ニ」するのも「夫婦相和」するのも「学ヲ修メ業ヲ習」うのも、すべては天皇陛下のためである――とする解釈とがある。初期は前者の解釈が優勢であったが、国定第2期修身教科書『高等小学修身書』巻2(1913=大正2)以後、後者の解釈が広まることになったという(籠谷次郎「教育勅語」、原武史+吉田裕〔編〕『岩波天皇・皇室辞典』岩波書店、2005)。戦前の文部省の公式解釈は後者ということになるが、この解釈をとるとすれば、文意のねじまげにも程がある、ということになる。また、前者の解釈をとるにしても、重要な部分を無視してしまっていることには変わりない。(赤字強調・ブログ主)

つまり、「夫婦和合」「遵法精神」など十二の徳目も、天皇陛下の御為とする解釈が、当時は一般的(通説)です。当時、こんな絵本出した日には不敬罪ですよ逮捕ですよ。



それに、ぶっちゃけ言ってしまえば、徳目の項だけを列挙すれば、
どんなカルト宗教でも、ご立派なこと言ってることになっちゃうんですよね。
トータルを判断せず、肝心なことを語らずに、一般ウケすることだけ並び立て、あたかもその価値観の全部が素晴らしいものであると偽装する手法。
カルト宗教マルチ商法や、作者のお嫌いそうな共産主義イデオロギーのやり口と、少なくとも手法的にはなんら変わりありませんね。


ってことで、前回のエントリーに書いていた以下の結論ですが、

『たいせつなもの』なる絵本そのものに問題はない。

謹んで私の不明をお詫びしまして、立場変更しますごめんなさい。
教育勅語を標榜する限り、教育勅語よりタチが悪い。
科学を標榜するニセ科学みたいなものですよ。何度でも繰り返しますが、
べんきょうは なまけずに、いろんなことを おぼえたり かんがえたりして かしこくなりましょう。(^^





おまけ。コメント欄

一方通行の批判には耳を貸す必要は無いでしょう。

その通りです。あの絵本が不敬だのだの思わなければ、
別に変更する必要も撤去する必要もないでしょう。
無責任にニセ教育勅語を垂れ流しておることへの批判はさせて戴きますが。
ついでに、わざわざそちらに乗り込むつもりもありません。
だって面倒くさいもん。
最初から意見を変えるつもりのない人とは、議論やっても意味ないですし。*2



あ、私ですか? 間違ったことなら訂正しますし、立場も変えますよ。
あの訳文が(当時の)教育勅語の本旨だったらね。
とりあえずは、あの絵本は、タチが悪いという方向には変更しましたので(^_^

*1:絵本の歴史については、松岡正剛の千夜千冊を参照のこと

*2:こちらにまとめました

じぎゃくの14番 蔓延するニセ教育勅語

みなさんは、教育勅語というものをご存知でしょうか(もういいですかそうですか)


先日、爆笑のFLASHを発見。大いに笑わせてもらいました。
  『たいせつなもの』
     〜こどものための教育勅語

このおはなしは めいじてんのうが おはなしになったことです。


おおむかしに わたしたちのそせんが にほんというくにをつくったとき
こころのきれいなひとたちがすむ、 りっぱなくににしようとおもいました。
そしてみんなが そのきもちをたいせつにして
こころをひとつにしてがんばったから
いまのにほんがあるのですし、 それはとてもほこらしいことです。


みなさんは おとうさん おかあさんを たいせつにして、
きょうだいは なかよくしましょう。
おとうさん おかあさんは なかよくしましょう。


ともだちは たいせつにして いじわるをしたり うそをいっては いけません。
いばったり じまんしたり せずに、
こまってる ひとがいたら たすけてあげましょう。


べんきょうは なまけずに、
いろんなことを おぼえたり かんがえたりして かしこくなりましょう。
ひとのことをうらやましがったり、 ひがんだりせず、
すすんで みんなのために なることをしましょう。


ずるをしたりせずに きまりはきちんとまもりましょう。
もし たいへんなことが おこったら、
ゆうきをだして みんなのために がんばりましょう。


このおやくそくは むかしから みんなが だいじにしてきました。
みんなが おおきくなっても、 がいこくに いっても かわらない
ほんとうに たいせつなことですから、
みなさんも このおやくそくを まもって
りっぱなひとに なってくださいね。

   絵本製作: あすの日本を考える会


ううむ。いいこと言ってますね、この絵本。
当たり前のことしか言っていないという気もするけど。


しかし、どうしてこれが笑えるのかといえば、
これ、教育勅語じゃありませんから。
参考までに、教育勅語の原文置いときます。

朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾

この原文を、簡単に訳した人がおられます。
 暁を撃て! いっちょ現代語訳でも…/教育勅語(その1)

私が思うに、私の尊い先祖である天照大神と、神武天皇を初めとする代々の天皇が国を治めたのは歴史も深く、まことに徳の厚いものであった。
私の臣民が、忠義と道徳によって心をひとつにし、代々にわたって素晴らしい世の中をつくってきたことは、わが国の素晴らしい特徴であり、教育の大元もここにあるものである。
お前たち臣民よ、父母を敬い、兄弟親しく、夫婦は仲むつまじく、友人と信じ合い、うやうやしく謹み己を律し、博愛の精神を周囲にもたらし、学業を習い、これを修得し、英知を養い、道徳を身につけて進んで公益のために務めを果たし、憲法を重視して法律に従い、もし国家に危機が迫れば義勇の精神を君主たる天皇にささげ、天地とおなじく不滅である皇室の繁栄を助けよ。
このことは、私の忠実で善良な臣民であるお前達のためだけではなく、お前達の祖先の遺したすばらしい精神を顕彰するためでもある。
この道は私の尊い先祖である天照大神神武天皇を初めとする代々の天皇の遺した教えであり、その子孫である臣民が共に遵守すべきものであり、それは今も昔も変わらず、また、世界にもたらしても間違いのないものである。
私もお前たち臣民とともにこの教えを胸に刻んで遵守し、この道徳を共に実現したいと心から願うものである。


……かなり、つーか、全然違いますね(笑。
意訳、もしくは超訳ですかね、この絵本。
まあ子供相手の絵本ですから、あまり正確さを求めるのもなんですが。
でも、ここまで改変しちゃうのは明治天皇に対する不敬なんじゃないの?
少なくとも、これは教育勅語を騙るニセモノです。


実は、このニセ教育勅語の絵本の元ネタになっているのが
巷に出回ってる日本道徳協会による教育勅語の訳文なのですが、
正確には衆議院議員・佐々木盛雄訳。これ自体が改変ものなのです。
 日夜困惑日記 教育勅語「国民道徳協会訳」の怪
 中教審が礼賛する教育勅語を読んでみよう 


「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト」 が
   

おおむかしに わたしたちのそせんが にほんというくにをつくったとき

「我が皇祖・皇宗」を「わたしたちのそせん」て訳すの、酷いんじゃないの?


「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」 が
   

もし たいへんなことが おこったら、
ゆうきをだして みんなのために がんばりましょう。

どうにか穏健な表現に言い換えねば、と苦心してます。微笑ましいです。



「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
   

   ?? ……あれ、どこ行った?


教育勅語だと言い張るなら、もうちょっと明治天皇の聖旨に忠実な文章にして欲しいもので。
これらのことから考えるに、こういうの作る人の本心は結局こういうことなのでしょう。
 暁を撃て! いっちょ現代語訳でも…/教育勅語(その2)

早い話が、彼らは口では教育勅語を礼賛しながら、実はその内容が現在の一般国民に受け入れられるようなものではないと理解しているということなのでしょう。天皇が臣民に下す命令という特色をなくすため、口調は敬語になり、「爾臣民」は「国民の皆さん」にされてしまい、「私達」などという存在しない概念が登場します。そして「皇祖高宗」という単語は、元々天照大神と歴代の天皇を指す言葉であるのに、なんと「私達」の「先祖」になっています。天皇に従属することを表す「忠良ノ臣民」は「善良な国民」になってしまいしたし、皇室のため戦え、という部分は完全に削除されてしまいました。一方で、一般道徳について述べた部分は、さして誤訳もありません。

要するに、教育勅語を直訳して国民に受け入れられる部分があるとすればこのあたりしかないということを、教育勅語を礼賛する彼ら自身が知っている、ということです。これは、この訳文にかぎりません。「教育勅語を現代の教育に!」と主張する人たちは、たいていこの一般道徳の部分を持ち出しはしますが、決して「天壌無窮…」の部分を持ち出すことはないのです。それこそが、教育勅語の中心であるはずなのに…。

 日々困惑的日常 『私たちの歩むべき道』、あるいはこれは「教育勅語」ではない

 何故にここまで改竄してまで教育勅語にこだわるのか、とも思うのだが、おそらくこの手の「訳」を奉じる人々にとっては、勅語の具体的な内容よりも、この勅語明治天皇によって発布された、いわば一種の聖典である、ということの方が重要なのだろう。聖典は神聖なものであるから、たとえ不都合な点があったとしても作り直すことはできない。したがって、時代や状況にうまく適合させるためには、巧みに読み替えを行う必要が出てくるのである。

この絵本の最後には、「お父様お母様へ」という後書きがありますが

内容自体は儒教的思想と、わが国の伝統・文化に基づく基本的な道徳を説いたものであって、批判されるようなものではありません。

   どこがやねん!
(本物の教育勅語は)無茶苦茶に封建的な内容ではないですか。



  結論

  1. 『たいせつなもの』なる絵本そのものに問題はない。
  2. しかし、教育勅語そのものには大いに問題がある。
  3. あの絵本は教育勅語なんかではなく、似て非なるものである。
  4. 自分の都合に合わせて事実を捻じ曲げるのは、あるあるだけではないらしい。
  5. 教育勅語を讃え、天皇・皇室を敬うべし」と言う人の方が論理一貫性がある。それに賛同するかどうかは別にして。
  6. こういう御都合主義な人が、こういうことを言うのですな。西岡昌紀先生、出番ですよ!
  7. べんきょうは なまけずに、いろんなことを おぼえたり かんがえたりして かしこくなりましょう。


おまけ  同じような例として、こういうお笑い日本神話もございます。

じぎゃくの13番 つくづく思うに

日本国憲法みたいな高級なもの、
この国なんぞには勿体無くて。


自分勝手権利を履き違えてる奴に限って、
権利に付随する責任は取ろうとしない。
他人が正当な権利を行使しようとすると
それを自分勝手だと履き違えて攻撃を加える。
自分の都合に合わせて、権利はコロコロ動くものらしい。


まったくもって、人権感覚の根付かない国民なんで
真っ当な個人主義や民主主義なんぞ、育つはずがない。
あんたら攻撃してますがね、人権感覚の無さに関しては
アノ国・彼の国といい勝負。目糞鼻糞。
こんな数百年ほど遅れた国ごときには、
大日本帝国憲法程度がお似合いです。
けっ